妻の母親が亡くなった。
享年86歳。
岳父の10年祭から僅か20日余り後の逝去だった。
妻が長女で、下に長男と次女という3人の子供。
孫は9人。
神式の葬儀は知り合いと孫達だけで奉仕した。
本当に心の籠った懇篤な祭典になった。
参列者も多く詰めかけて下さった。
生涯、極めて質素な暮らしを貫いた。
80歳を越えても畑に出て農業を続けていた。
実は経済的にはそれなりに恵まれていたのに、 決して安楽、贅沢な生活をしようとしなかったのだと、 比較的最近に知って驚いた。
明朗快活、頭脳明敏。
優しい人柄ながら芯の強いものを持っていた。
亡くなる数日前に、 私の長女が祖母の似顔絵を描いて見せた時には、 鼻に管を通されていても、満面の笑みを見せた。
至誠一徹の岳父の妻として、 言葉には尽くせない辛苦を経て来たはず。
なのに、いつも明るさを失わなかった。
晩年、物忘れが少し目立つようになると (と言っても今の私くらいか)、 性格がますます清らかになったような気がする。
時折、老いて人が変わったように我が儘になったり、 意地悪になったりする例を見かける。
ところが義母の場合は、世俗の煩いが薄らいで、 内面の清浄無垢さが、そのまま発露したかのようだった。
身近な1人は弔いの言葉の中で、
「心のどこかで少女の気持ちをずっと持ち続けた」
と述べていた。
まことに幸せな生涯だったと羨ましくなる。