天皇の「尊厳」の憲法上の根拠は何か。
それは、“主権”の主体とされる「国民」という概念を、 実際のお姿で体現し得る、唯一の存在という事だ。 主権は一人一人の個別の国民にあるのではない。 それではバラバラで「唯一、至高」の主権たり得ない。
“個々の”国民は(主権の形成に参与し得る立場にあるものの)、 むしろ主権の下にある被治者に過ぎない。
主権の主体は、トータルな存在としての「国民」、 つまり「統合」された存在としての国民だ。
「国民の総意」にこそ主権は宿ると言い換えても良いだろう。 それを一身において体現し得るのは憲法上、ひとり天皇のみ。 だから、天皇の尊厳とは「主権」の尊厳であり、 主権者たる「国民」の尊厳だ。
天皇がそういう地位だからこそ、 国権の最高機関とされ、 唯一の立法機関である国会を、 より“上位”の立場から「召集」し、 行政のトップの内閣総理大臣 と司法のトップの最高裁判所長官を 「任命」し得るのだ。
天皇が憲法上、 「日本国」及び「日本国民統合」の唯一(!) の「象徴」である以上、その尊厳の“保持”は、 憲法そのものの要請と理解すべきだろう。 天皇の誕生日が「国民こぞって」 祝うべき「祝日」とされているのも、 上記の文脈を踏まえてこそ、素直に理解できる。