明治皇室典範の「二者択一」

​更新日:2019年7月30日

​※本記事は2019年3月31日に掲載した内容を転載しております。

明治の皇室典範を制定する際に、2つの立場の対立があった。

 

1つは、側室制度を前提に、非嫡出(庶出)にも皇位の継承資格を認めて、「男系の男子」に限定する立場。もう1つは、側室制度を排除し、非嫡出には皇位の継承資格を認めず、女性天皇・女系天皇も認める立場。

しかし、当時の皇太子、嘉仁(よしひと)親王(後の大正天皇)は側室(柳原〔やなぎわら〕愛子〔なるこ〕=前光〔さきみつ〕の妹)から生まれられていた(つまり非嫡出)。

従って、後者を採用する余地はなかった。だが前者も、あくまで側室制度を前提に、

非嫡出にも皇位の継承資格を認める事によって、かろうじて「男系の男子」という前例の無い窮屈な“縛り”が可能になった。

 

ところが現在の皇室典範ではどうか。側室制度を排除し、非嫡出には皇位の継承資格を認めない。にも拘らず「男系の男子」に限定する。前者の前提条件が欠けていながら、

後者の選択幅も失う。まさに、前代未聞の困難を極める継承条件となっている。

これでは行き詰まって当たり前。

 

改めて、明治典範の「二者択一」に立ち戻って検討すれば、結論は自ずと明らかだろう。

政府も既にその事には気付いているようだ。

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