旧皇族の素顔

​更新日:2019年6月18日

旧皇族の素顔

旧皇族というと、一般には竹田父子あたりを思い浮かべる人が多いかも知れない。しかし、実は2人とも旧皇族(=かつて皇族だった方)ではない。占領下に傍系の11宮家が皇籍を離れた“後”に、国民として竹田家に生まれたのが、近くJOC会長のポストを離れようとしている竹田恒和氏。

従って1分、1秒もかつて皇族だった事実はない。その子息は当たり前ながら、国民の子だ。そうではなくて、例えば故・東久爾(ひがしくに)信彦氏などは、紛れもなく旧皇族。

しかも、昭和天皇の第1皇女、成子(しげこ)内親王が東久爾盛厚(もりひろ)王に嫁がれて、お生みになったのが信彦氏。だから、昭和天皇の女系の孫に当たる。

 

更に、父方の祖母は明治天皇の第9皇女、聡子(としこ)内親王なので、女系では明治天皇とも繋がる。旧皇族と言われる人たちの中でも、今の直系の血筋に最も近かったお1人だろう。去る3月20日に74歳で亡くなられた。以下、お人柄を偲ぶ記事から(『週刊新潮』4月4日号)。

「『23歳で両親を失いました。長兄として一家を束ねていこうとする姿は、けなげでした』(〔小学校からの同級生で親友の〕柴山〔義光〕さん)

(昭和)47年、27歳で結婚。お相手の島田吉子さんは1歳年上、大学時代に友人と訪れたハワイで出会い、6年ほどの交際を続けていた。実家は不動産の管理業である。庶民の出であるという声はあった。昭和天皇は信彦さんから聞いた話をもとに、『家柄にこだわることはない。週に1度、子や孫が実家に集まって夕飯を食べることを長く続けているような家はきっといい家庭に違いない』と快く賛成した。披露宴では当時の皇太子殿下(今上陛下)をはじめ皇族方が門出を祝った。『芯の強さもある。結婚相手は自分が決めるとの思いがありました』(柴山さん)

 

翌48年、男児が誕生。ロンドンに赴任中で昭和天皇からよく直筆の手紙が届いたという。

62年に三井銀行三井物産ビル支店長に。クニさんと親しまれ、陛下の孫だと信用してもらえるのはありがたいが、どこでもそれなりの行動しかできない、とは正直な弁である。

 

昭和天皇崩御の際はご危篤の段階で宮内庁から連絡があり、駆けつけている。企業や団体の顧問や名誉職を多数務めていた。『気を配り、照れたような笑顔も好かれ、人望があった。

頼まれるといいよ、いいよと引き受けるのが時には心配の種でした。旧皇族、昭和天皇の孫という立場を利用しようと近づいてくる人もいたからです』(柴山さん)

 

今上陛下は、信彦さんを『ノブちゃん』とお呼びになり、直接電話されることもあったという。…取材には丁寧に応じたが、問われても皇族についての意見は述べなかった。珍しく口を開いたのは、昭和天皇が崩御されてから1年近く経った頃。マスコミは天皇をスター的に扱わず、ありのままのお姿を伝えて欲しいなどと語り、そうすれば平成という新時代の天皇と国民の関係がより近づいたものになると考えていた」と。

 

正真正銘の旧皇族。

 

しかも、今上陛下と血縁上、最も近い関係にあった方だ。それでも、皇室と国民の身分の違いをはっきりと自覚しておられた事が窺える。ご冥福をお祈り申し上げる。

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