高森明勅2021年2月4日2 分皇室シナ風が古来の伝統?天皇の皇位継承に伴う重要な祭儀が大嘗祭(だいじょうさい)。その大嘗祭の大切な付属行事に「御禊(ごけい)行幸(きょうこう)」があった。神聖であるべき大嘗祭を行うに先立って、天皇ご自身が京都の鴨川などに臨まれ、諸々の穢(けが)れを除き清める行事だ。...
高森明勅2019年11月15日1 分皇室大嘗祭は「単純素朴」民俗学を大成した柳田国男。大嘗祭について、以下のように述べていた。 「神と君と、同時に御(お)食事をなされる、寧(むし)ろ単純素朴に過ぎたとも思はれる行事」(『海上の道』)と。 まさに至言だろう。 メディアでは、相も変わらず「秘儀」「秘事」と騒いでいた。しかし、悠紀・...
高森明勅2019年11月14日2 分皇室父君のにひなめまつり…昭和から平成への御代替わりの際に、上皇陛下はご自身の大嘗祭(和訓では“おおにえのまつり”とも)について、以下のようにお詠みになった。 父君の にひなめまつり しのびつつ 我がおほにへの まつり行なふ 「父君」とは勿論、昭和天皇。...
高森明勅2019年11月12日1 分政治大嘗宮は誰の為に建てるのか?いよいよ11月14・15日は大嘗祭。同祭ではわざわざ大嘗宮を建てる。これは誰の為か。 誤解があってはならないのは、天皇ご自身の為ではないという事だ。同祭で祭られる皇祖(皇室の祖先神、天照大神)に対し、最も丁重におもてなしすべく、真新しい清浄な斎場を用意する為に他ならない。...
高森明勅2019年9月28日2 分皇室斎田抜穂の儀9月27日、11月の大嘗祭を控え、「斎田(さいでん)抜穂(ぬきほ)の儀」が執行された。 悠紀(ゆき)地方は栃木県高根沢町、主基(すき)地方は京都府南丹市の「斎田」において、大嘗祭で天照大神(及びその他の神々)に備えられる新米の収穫が、それぞれ行われた。...
高森明勅2019年9月25日1 分皇室大極殿と大嘗祭大嘗宮が造営された「朝堂院」は朝廷の中心的施設。 その朝堂院の正庁は「大極殿(だいごくでん)」だった。 高い基壇を築き、朱塗りの柱に、瓦葺(かわらぶき)きの屋根。豪華・壮大で堅牢な建物だ。まさに朝廷の威信を示すに相応しい。即位礼は、この大極殿に「高御座(たかみくら)」を据え...
高森明勅2019年9月22日2 分皇室大嘗祭の「国家」的性格大嘗祭は皇位継承に伴う重大な儀式。だから当然、国家的な性格を持つ。改めてその点にも言及しておく。制度的に確立した第1回の大嘗祭である持統天皇の大嘗祭に、既に「公卿(まえつきみ)より以下主典(ふびと)に至るまで」、つまり朝廷の上層部から末端までが、行事に携わっていた事実を確認...
高森明勅2019年9月21日3 分皇室大嘗祭の民衆的「逸脱」大嘗祭は多分に「民衆」的な祭儀だった。その為に、逸脱的な場面も見られた。神事当日、平安京の北側の斎場から内裏の朝堂院まで、悠紀・主基両国の在地の民衆が自分らの供え物を運び込む大行列。 その中に、車輪の付いた「標(ひょう)の山」が曳(ひ)かれていた。それは、戦国時代に入って大...
高森明勅2019年9月20日2 分皇室大嘗祭は「民衆」的な祭儀以前、大嘗祭は専ら民衆とは無縁な密室の秘儀、というイメージが独り歩きしていた。事実はそうではなく、大嘗祭は国民(公民)の奉仕を基盤してこそ初めて成り立ち得る、極めて民衆的な祭儀である事を実証的に明らかにしたのが、手前味噌ながら私の大嘗祭論の特長だ。...
高森明勅2019年9月19日2 分皇室即位礼・大嘗祭が「京都」で行われた理由明治の皇室典範では、即位礼と大嘗祭は「京都」で行われるべき事が、明文で規定されていた(第11条)。何故このような規定になったのか。伊藤博文名義の『皇室典範義解』に以下のように説明していた。 「(明治)13年車駕(しゃが、天皇の行幸の際のお車)京都に駐(と)まる。旧都の荒廃を...
高森明勅2019年9月18日2 分皇室即位礼・大嘗祭が「引き続き」行われた理由旧「登極令(とうきょくれい)」(明治42年公布)には次のような規定があった。即位礼が終わった後に「続(つづき)て」大嘗祭を行うべし、と(第4条)。その為、同令に基づいた大正・昭和の即位礼と大嘗祭の間は僅か3日間しかなかった。まさに前代未聞。このような規定が加えられた理由は何...
高森明勅2019年9月17日2 分皇室即位礼・大嘗祭が「東京」で行われる意味令和の即位礼と大嘗祭が東京(皇居)で行われる。 多くの国民はそれを当たり前だと思っているだろう。しかし、これは平成の“新例”を踏襲したもの。大正・昭和は京都で行われた。明治の皇室典範には以下の規定があったからだ。「即位ノ礼及(および)大嘗祭ハ京都ニ於(おい)テ之(これ)ヲ行...
高森明勅2019年9月16日1 分皇室大嘗宮の「原始性」大嘗宮の悠紀(ゆき)・主基(すき)両殿は古代以来、「萱葺(かやぶき)屋根」、皮を削らない丸木の材木を用いた「黒木(くろき)造り」という形を、直近の平成まで維持して来た。 わが国の建築の屋根形態として最も「原始的」なのは萱葺だったとされる(原田多加司氏)。...
高森明勅2019年9月1日2 分政治政府が大嘗宮「萱葺」を検討大嘗宮(だいじょうきゅう)の屋根を板葺(いたぶき)に変更する問題を巡り、次のような報道があった。 「茅葺(かやぶ)き文化の保全継承を目指す自民党の『茅葺き文化伝承議員連盟』の山口俊一会長は(8月)30日、菅義偉官房長官と首相官邸で面会し、11月に行われる皇位継承に伴う重要祭...
高森明勅2019年8月31日3 分皇室御代替わりの変更点8月29日、「政教関係を正す会」の役員会、総会、研究会があった。研究会では國學院大學教授で、帝国憲法と明治の皇室典範の起草に中心的な役割を果たした井上毅(こわし)の研究がご専門の齊藤智朗氏が、「近代皇室制度と現代の御代替(みよが)わり」と題して発表された。...
高森明勅2019年8月27日2 分皇室有益な資料集『大嘗祭論抄』先日、長野県・深志神社禰宜(ねぎ)の牟礼(示+豊)仁(むれ・ひとし)氏から『資料集 大嘗祭(だいじょうさい)論抄・全』(神社新報時の流れ研究会 研究資料)と同「附録」をご恵送戴いた。 題名に「全」とあるのは、『大嘗祭論抄』・同「続」編・同「補遺」編・同「追補」編を合冊した為...
高森明勅2019年7月27日2 分皇室何故わざわざ「大嘗宮」を建てるのか?7月26日、皇居・東御苑(ひがしぎょえん)で大嘗宮(だいじょうきゅう)地鎮祭が執り行われた。いよいよ11月に行われる大嘗祭(だいじょうさい)に向けて、その斎場となる大嘗宮の建設に取り掛かる。 では、そもそも何故、一定の経費を投じてまで、大嘗宮をわざわざ建てる必要があるのか?...
高森明勅2019年6月11日2 分皇室大嘗宮の造営費用、6億円近くも低減天皇のご一代に一度限りの大嘗祭(だいじょうさい)。この大祭の為に、特別に造営されるのが大嘗宮(だいじょうきゅう)。宮内庁はその経費を少しでも削減する為に、最も中心となる建物「悠紀殿(ゆきでん)」「主基殿(すきでん)」及び重要な付属施設である「廻立殿(かいりゅうでん)」の屋根...
高森明勅2019年5月24日1 分皇室大嘗祭研究の進展昭和から平成への御代替わりの頃。大嘗祭について関心が極めて高かった。当時、大嘗祭の研究に打ち込んでいた私から見ても、異常に感じたほど。しかし、大嘗祭とは「天皇霊」を継承する密室の秘儀、という折口信夫説を俗流化した見解が、十分に吟味されないまま横行していた。...
高森明勅2019年5月21日1 分皇室天皇と国民をつなぐ大嘗祭5月21日、最新刊『天皇と国民をつなぐ大嘗祭』(展転社、1600円+税)が発売。 神器(じんぎ)の継承、即位礼とは“別に”、「大嘗祭(だいじょうさい)」がわざわざ行われなければならない理由とは何か。それは皇位継承儀礼としての大嘗祭の“固有”の意義を問うことに他ならない。これ...
高森明勅2019年5月12日2 分皇室昭和「斎田点定の儀」秘話5月13日、大嘗祭に向けた「斎田点定の儀」。 前例では、平成2年2月8日に宮中三殿の神殿前庭に「斎舎(さいしゃ)」を設け、卜者(うらないじゃ)役・灼手(やきて)役・合図(あいず)役の3人の掌典(しょうてん)がその斎舎に入り、幔(とばり)を垂れて「亀卜(きぼく)のことが古例に...
高森明勅2019年5月11日2 分皇室大嘗祭の「斎田点定の儀」を巡る逸話皇位の継承に伴って伝統的に行われて来た大嘗祭。大嘗祭では、国民が育てた稲を天皇ご自身が皇祖に供え、自らも召し上がられる。 その国民の稲を献上する、悠紀(ゆき)・主基(すき)両地方を決めるのが、斎田(さいでん)点定(てんてい)の儀。斎田点定の儀では、アオウミガメ(青海亀)の甲...
高森明勅2019年2月20日1 分政治大嘗宮の伝統が守られる?先日、新聞記者の取材を受けた。 その時に、大嘗宮の屋根の葺(ふ)き方の変更についても触れた。 簡素・素朴で“清浄さ”の表示と言うべき伝統的な萱(かや)葺きから、粗末・粗略な板葺きに変更されようとしていて、問題だと。 ...
高森明勅2019年2月7日1 分皇位継承問題大嘗祭研究の反省昭和から平成への御代替わりの際、大嘗祭の核心は「天皇霊」継承の秘儀にあるという誤った説が、当時はそれなりに流布していた。 しかし、平成の大嘗祭の斎行に先立って、実証的に否定された(岡田荘司氏の研究など)。 これは大嘗祭への誤解を解消する大きな貢献だった。...