高森明勅

2019年4月9日2 分

美濃部達吉博士の「象徴天皇」論

憲法学者の美濃部達吉博士は、

戦前の特殊な「空気の支配」のもと、

天皇機関説事件で貴族院議員の辞職に追い込まれ、

更に右翼の暴漢に銃撃されて重傷を負った。


 
戦後には『日本国憲法原論』
 
(昭和24年、同27年に補訂版)を刊行されている。


 
その中で、憲法の「象徴」規定を巡り
 
以下のように述べておられた。


 
「『象徴』とは他の語で言へば『形態的の表現』

とも謂(い)ひ得べく、天皇の御一身が国家の現れ

であり、国民の全体が一体として結合して居る姿で

あるといふ趣意を示すものである。

国家は勿論(もちろん)思想上の無形の存在であり、

国民の統合と言つても唯(ただ)思想上に全体を

統合せられたものとして思考するといふに止まる

のであるが、斯(か)かる思想上の無形の存在を

形態的に表現したものは即(すなわ)ち天皇の

御一身で、国民は天皇を国家の姿として国民統合の

現れとして仰ぎ見るべきことが要求せらるるのである。

それは単に倫理的感情的の要求たるに止(とど)

まるものではなく、憲法の正文で定められて居る

のであるから、必然に法律的観念たるもので、

即ち国民は法律上に天皇の御一身に対し国家及(およ)び
 
国民統合の現れとして尊崇すべき義務を負ふのである。

国家の尊厳が天皇の御一身に依り表現せられ、

国民は何人も其(そ)の尊厳を冒涜すべからざる

義務を負ふのである」と。


 
戦後の特殊な「空気の支配」のもと、

こうした理解は長く封印されたままだ。


 
今上陛下はこれまでの30年余り、国民の為に、

「日本国」及び「日本国民統合」の「象徴」たるに

相応しく行動すべし、という憲法の要請に「全身全霊」

でお応えになって来られた。
 

これは今や何人も否定できない事実だろう。


 
一方、国民の側はどうだったか?
 

 

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