高森明勅
2017年12月10日2 分
天皇の皇位継承に伴う大嘗祭。
天皇の数ある祭祀の中でも最も重大だ。
その大嘗祭で最も大切な意味を持つのが、
悠紀(ゆき)・主基(すき)両地方の農民が献上する新穀。
その新穀を献上する特別の田を「斎田」と呼ぶ。
斎田は当然、“清らかさ”が求められる。
昭和天皇の大嘗祭での様子は『昭和大礼要録』(昭和6年)
によって知ることが出来る。
そこには「斎田の奉仕は弥(いや)が上にも
清浄を期せざるべからざるを以て、其(そ)の地方に在(あ)りては
斎田の修祓(しゅばつ=祓い)を最初とし、
新穀供納の完了に至るまでの間、幾多の修祓・祭儀を執行せられしが、
その主たるものを斎田修祓式及(および)田植(たうえ)式とす」と。
すなわち、天皇の神聖な大嘗祭に新穀を献上する斎田は
「清浄」であるべきで、その為に「幾多の修祓・祭儀」が
執行され、それらの中でも「主たるもの」は、
「田植式」とそれに先立つ「斎田修祓式」の2つだった。
ところが、「5月1日」のご即位では、
4月に田植えを行う地域では、どちらも間に合わない。
だからと言って、それらの地域を予め候補から排除するのも、
「国民統合の象徴」たる天皇のお立場に相応しくない。
かと言って、斎田の“清浄”を軽視してよいはずもない。
安倍政権は、天皇の一代に一度限りの大嘗祭を、
厳粛かつ恙(つつが)無くに行って戴く為に、
万全を期すという考え方は、爪の先ほどもないのか。