高森明勅

2018年3月9日2 分

憲法9条と沖縄

護憲論者に問いたい。

沖縄を見捨てるのか、と。

憲法9条の「戦力不保持」規定と沖縄の軍事基地化は、
 
少なくとも同趣旨を憲法に盛り込む指示をしたマッカーサーに
 
とっては、不可分の“セット”だった。

「日本の安全をどう守るか…マッカーサーは、
 
あるいは米国の軍部は、日本占領以前にある腹案をもっていた。
 
それは沖縄の軍事基地化である。

…1945年12月に成立した『改正衆議院議員選挙法』では、
 
こともあろうに、沖縄県民の選挙権は、―本土ではこの法律で

『女性参政権』が付与されたにもかかわらず―停止されたのであった。

…1946年4月の選挙は、改正された憲法(今の憲法=引用者)
 
の是非を決める選挙であったから、沖縄県民は、この憲法の是非を
 
争う選挙の埒外(らちがい)に置かれたのであった。

つまり、マッカーサーにとって『戦争の放棄』
 
(正確には『戦力不保持』=引用者)とは、
 
沖縄に軍事要塞化を強い、本土にのみ適用される憲法で
 
『戦争の放棄』を可能にした、と見ることができる。

一方で、沖縄の基地化こそ、本土における『平和と民主主義』
 
の限界を示すものであった」
 
(古関彰一氏『平和憲法の深層』)
 

 
実際に、沖縄の駐留米軍を縮小、撤退させたいなら、
 
国際情勢の現実に鑑みて、自主防衛の拡充を図るしかない。

しかし、それを阻害しているのが、他ならぬ9条の「戦力不保持」規定だ。
 

 
護憲論者は沖縄にある米軍基地の固定化を訴えているに等しい。
 

 
もし憲法の「戦力不保持」を維持しながら、
 
米軍基地を撤去し得る可能性があるとすれば、
 
それは恐らくアメリカと中国との軍事的・政治的関係の中で、
 
アメリカが(何らかのメリットを得る見返りか、又はデメリットを避ける為に)

日本を中国の影響下に“置き換える”判断をした場合だろう。

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