高森明勅

2021年2月19日1 分

崇高な死、醜悪な死

吾峠呼世晴(ごとうげ・こよはる)氏の作品『鬼滅の刃』。

夥(おびただ)しい死が描かれている。取り分け、鬼狩り(鬼殺隊)の最強メンバー「柱(はしら)」と、その敵である鬼の始祖・鬼舞辻無惨(きぶつじ・むざん)やその手下、「十二鬼月(じゅうにきづき)の上弦(+下弦の壱〔いち〕)」らの死に際、死に様が、一つ一つ丹念に描き込まれる。

両者の死は、全く対照的だ。

美しく崇高な死と醜く惨めな死。ひたすら他者の為、公(おおやけ)の為の死と、私利私欲、私情・私憤による死。そのコントラストによって、それぞれのこれまでの生き方の隔たりが、残酷なまでに浮き彫りになる。まさに、“死が生を映し出す”構図が明確だ。

私自身は、産屋敷(うぶやしき)家当主でお館様(やかたさま)と呼ばれた耀哉(かがや)の最期が衝撃的だったのと共に、女剣士で唯一、非力ゆえに鬼の首を斬ることが出来ない

胡蝶しのぶの死に様に、最も“凄み”を感じた。

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