高森明勅

2019年2月7日1 分

大嘗祭研究の反省

最終更新: 2020年12月27日

昭和から平成への御代替わりの際、大嘗祭の核心は「天皇霊」継承の秘儀にあるという誤った説が、当時はそれなりに流布していた。


 
しかし、平成の大嘗祭の斎行に先立って、実証的に否定された(岡田荘司氏の研究など)。


 
これは大嘗祭への誤解を解消する大きな貢献だった。


 
一方、ならば大嘗祭が皇位継承儀礼として執り行われなければならない理由はそもそも何か、という最も根源的な問い掛けに対する明快かつ包括的な回答は、殆ど無かった。


 
手前味噌ながら、私の研究(拙著『天皇と民の大嘗祭』など)が稀有な例外か。


 
そうした状況は、次の大嘗祭を今年の11月に控えた今も、残念ながら基本的に変わっていないように見える。


 
新しい天皇のご即位に当たり、毎年恒例の新嘗祭“ではなく”、手間も経費もかかる大嘗祭を、ことさら行わなければならない理由は一体何か。


 
剣璽等承継の儀、即位の礼の他に、どうして大嘗祭をわざわざ別に行う必要があるのか。


 
新嘗祭とは違う、大嘗祭“のみ”が持つ皇位継承儀礼としての意味と、剣璽等承継の儀や即位の礼だけではカバー出来ない、同祭“固有”の意義とは何か。


 
これらの根本的な問いと、真正面から対峙しようとしない大嘗祭研究は、遂にその本質に迫る事が出来ないだろう。

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